
こんにちは!所沢いそのクリニック院長の磯野誠です。
「前立腺がんの手術を決めた。でも、術後の合併症が怖い」
——外来でこうした不安の声を、私は数えきれないほど聞いてきました。
前立腺全摘除術には、事前に知っておくべき合併症があります。
実は手術直後、約7割の方が尿漏れを経験し、性機能についてはほぼ全員が何らかの影響を受けます。
しかし、これらは事前に対策を知っているかどうかで、術後の生活の質(QOL)が大きく変わります。知識を持って手術に臨んだ方とそうでない方では、術後の回復の過ごし方がまったく違うのです。
この記事では、前立腺全摘除術に伴う5つの合併症とその対策を包み隠さずお伝えします。
手術を控えている方はもちろん、術後の症状に悩んでいる方にも役立つ内容です。
なぜ前立腺の手術で合併症が起きるのか

まず、前立腺がんの根治治療として行われる「前立腺全摘除術」について整理しておきましょう。
前立腺は膀胱のすぐ下にあり、尿道をぐるりと取り囲むように位置している臓器です。
膀胱にたまった尿は、この前立腺の中を通る尿道を通って体の外に出ます。
ちょうど、パイプ(尿道)を土台(前立腺)が包み込んでいるようなイメージです。
手術では、この前立腺と精液を蓄える精嚢をまとめて摘出し、切り離された膀胱と尿道を縫い合わせます。
この縫い合わせる部分を「吻合部(ふんごうぶ)」と言います。
現在ほとんどの施設では、ロボット支援腹腔鏡下前立腺全摘除術(いわゆる「ダビンチ」を使った手術)が主流です。
精密なロボットアームにより、出血を最小限に抑えながら繊細な操作ができる、非常に精度の高い手術です。
ただし、どれだけ技術が進歩しても、前立腺の周囲には次のような重要な構造が密集しています。
- 尿を止める筋肉(尿道括約筋)
- 勃起など性機能に関わる神経(神経血管束)
- 直腸
- 血管
お互いが非常に近い距離にあるため、前立腺だけをきれいに取り出すことは解剖学的に簡単ではありません。だからこそ、合併症はゼロにはできない——それが現実です。
この記事は、手術をやめるための話ではありません。
前立腺がんは、早期に根治治療を受ければ命を守れる病気です。
合併症の不安で治療を先送りにしてほしくない。
「知っていれば怖くない」「知っていれば備えられる」——正しく知ることが、手術後の生活の質を守る最初の一歩です。
術後に起こりうる5つの合併症(発生率一覧表)

前立腺全摘除術の後に起こりうる合併症を5つに整理しました。
いずれも「起こりうる」ものであり、すべての方に起きるわけではありません。
| 合併症 | 発生率の目安 | 主な症状 | 主な対策・治療 |
|---|---|---|---|
| ① 尿失禁 | 術直後 約70% (多くは1年以内に改善) |
咳・立ち上がりなど腹圧時の尿漏れ | 骨盤底筋体操(術前から開始)、改善しない重症例は人工尿道括約筋 |
| ② ED(勃起不全) | ほぼ必発 | 勃起機能の低下 | 神経温存手術の検討、内服薬など術後治療 |
| ③ 鼠径ヘルニア | 約8%(ロボット支援手術) | 足の付け根の膨らみ・違和感 | 早期受診。嵌頓前なら比較的シンプルな手術で修復可能 |
| ④ 吻合部狭窄・不全 | −(つなぎ目のトラブル) | 尿の勢い低下、残尿感、尿線が細くなる | 狭窄:内視鏡で切開/不全:カテーテル留置で多くは改善 |
| ⑤ 直腸損傷 | 1%未満(極めて稀) | −(術中に発生) | 小さい傷は縫合。損傷が大きい場合は一時的な人工肛門が必要なことも |
それでは、一つひとつ丁寧に確認していきましょう。
① 尿失禁——多くは1年以内に改善

なぜ手術後に尿が漏れるのか
おしっこが漏れてしまう症状で、手術直後には約70%の方に見られます。「え、7割も?」と驚かれる方は多いですが、これには理由があります。
前立腺は尿道を囲むように存在していて、尿を止めるための「防波堤」のような役割をしていました。それを摘出するわけですから、手術後は尿道括約筋——つまりおしっこを止めるための筋肉だけで排尿をコントロールしなければなりません。さらに、手術の際にこの尿道括約筋自体が影響を受けることもあります。
特徴的なのは、次のような腹圧がかかったときに漏れることです。これを「腹圧性尿失禁」と呼びます。
- 立ち上がった瞬間に漏れる
- 咳やくしゃみをしたら漏れた
- 重い物を持ち上げたときに漏れた
術後にパッドが必要になる方がほとんどで、漏れの量が多い時期は複数枚使うこともあります。生活への影響が大きいため、精神的な負担も大きくなりやすい合併症です。
回復の見通し——焦らないことが大切
ただし、時間とともに改善していくケースがほとんどです。
- 多くの方が術後1ヶ月〜半年のあいだに急速に改善
- 6ヶ月以降もゆるやかに回復が続く
- 施設や個人差はあるが、術後1年の時点で多くの方の尿漏れは改善し、社会復帰も視野に入る
「術後すぐ漏れても、多くの場合は良くなる」と知っておくことが、焦らずに回復期を過ごすための大きな支えになります。
対策:骨盤底筋体操は「手術前」から始める
骨盤底筋体操(お尻を締める体操)は、手術が決まった段階から始めることが推奨されています。
手術後は、体に入っていたカテーテルが抜けたタイミングで、主治医の指示に従いながら体操を再開します。
「いつ再開するか」を知っているだけで、術後のスタートが変わります。
骨盤底筋体操は、排尿コントロールを担う尿道括約筋を鍛える有効な方法です。
次回の診察で「骨盤底筋体操はいつから始めればよいですか」と具体的に質問してみてください。
② ED(勃起不全)——「放射線なら大丈夫」は誤解

なぜEDが起きるのか
これはほぼ必発と言ってもよい合併症です。正直にお話しします。
前立腺のすぐ両脇には「神経血管束」と呼ばれる、勃起に関わる神経が走っています。
前立腺全摘除術では、がんの根治性を確保するためにこの神経血管束も一緒に切除することが多く、術後は勃起機能が低下します。
知っておくべき重要なデータ:手術 vs 放射線
「だったら手術は避けて放射線治療にしよう」と考える方もいますが、ここで知っておいてほしい重要なデータがあります。
神経温存手術と放射線治療のED発生率を比較すると、統計的な有意差はないとされています。つまり、どちらの治療を選んでも、EDのリスクは同等に存在するのです。
「手術だとEDになる、放射線なら大丈夫」という誤解を持ったまま治療選択をしてしまうことは、非常にもったいないことです。
「神経温存手術」という選択肢
がんの場所やMRI所見によっては、神経血管束を可能な限り残しながら前立腺を摘出する「神経温存手術」という選択肢もあります。がんの根治性と機能温存のバランスを、主治医と丁寧に相談することが重要です。
診察の際には、「自分の場合は神経温存が可能かどうか」をぜひ聞いてみてください。
EDへの対処法については、術後の状態を見ながら主治医と一緒に考えていく形になります。内服薬による治療など選択肢は複数ありますので、一人で抱え込まないでください。
③ 鼠径ヘルニア——放置すると緊急手術になることも

鼠径(そけい)ヘルニアとは、足の付け根(鼠径部)あたりに腸の一部が飛び出してくる状態のことです。ロボット支援手術では約8%の確率で起こるとされています。
「なんかポコっと出てきたな」という程度であれば気づかないこともありますが、放置は危険です。
「嵌頓(かんとん)」に注意
飛び出した腸が締め付けられて戻らなくなる「嵌頓」という状態になると、腸への血流が途絶えて壊死するリスクがあります。嵌頓が起きると激しい痛みが走り、緊急手術が必要になります。腸の一部を切除しなければならないケースもあるため、絶対に放置しないでください。
術後に鼠径部に違和感や膨らみを感じたら、すぐに主治医に伝えてください。早めに対処すれば、比較的シンプルな手術で修復できます。
④ 吻合部狭窄・吻合部不全——「つなぎ目」のトラブル

膀胱と尿道を縫い合わせた「吻合部」、いわば尿道の「つなぎ目」に起きるトラブルです。2つの種類があります。
| 種類 | 何が起きるか | 治療法 |
|---|---|---|
| 吻合部狭窄 | つなぎ目が硬く狭くなり、おしっこが通りにくくなる | 内視鏡で狭くなった部分を切開する処置 |
| 吻合部不全 | つなぎ目がしっかりくっつかず、尿が周囲に漏れる | 尿道カテーテルを長めに留置して待つことで多くは改善 |
どちらも、発見が早ければ対処できる合併症です。次のような症状があれば、早めに受診してください。
- 尿の勢いが急に弱くなった
- 排尿後も出きった感じがしない(残尿感)
- 尿が細くなった
⑤ 直腸損傷——最も重篤だが頻度は1%未満

5つの合併症の中で最も重篤なものです。前立腺と直腸は解剖学的に非常に近い位置にあるため、手術中に直腸を傷つけてしまうことがあります。ただし頻度は1%未満と極めて稀です。
現在主流のロボット手術では、患部を大きく拡大しながら精密に操作できるため、昔の開腹手術と比べてこのリスクは大幅に低くなっています。
万が一起きた場合——人工肛門が必要になることも
ゼロではないからこそ、知っておいてほしいことがあります。小さな傷であればその場で縫合して終わりますが、損傷が大きい場合には一時的な「人工肛門(ストーマ)」が必要になることがあります。
人工肛門とは、損傷した直腸より上の腸を体の外に出して、そこから排便させる処置です。必要になる理由は2つあります。
- 排便時の腸内圧力で、せっかく縫合した傷が再び開いてしまうリスクがあるため
- 便が縫合部に触れることで、細菌感染が起きやすくなるため
これを防ぐために、一時的に人工肛門を造設して腸を休ませるのです。稀だからこそ、患者さんに事前に伝えられていないことも多い合併症です。事前に知っておくことで、万が一の際にも冷静に対処できます。
直腸損傷は、術者の経験と技術によってリスクが変わる合併症でもあります。手術前に担当医からこのリスクについて説明を受けた場合は、その可能性と対応策についても確認しておきましょう。
尿失禁が改善しない場合——「人工尿道括約筋」という保険適用の選択肢

ほとんどの方の尿失禁は1年以内に改善しますが、中には改善が不十分なまま時間が経過してしまう方もいます。
尿失禁の重症度分類
| 重症度 | 1日の尿漏れ量 |
|---|---|
| 軽症 | 100cc未満 |
| 中等症 | 100〜400cc |
| 重症 | 400cc以上 |
重症の場合、骨盤底筋体操や薬物療法を続けても改善が見込めないことがあります。「もう治らないのか」と諦めかけている方に、ぜひ知っておいてほしい選択肢があります。
人工尿道括約筋埋め込み術とは
重症尿失禁に対しては、2012年から保険適用となっている外科的治療「人工尿道括約筋埋め込み術」があります。あまり知られていませんが、前立腺全摘除術後の重症尿失禁に悩む方に向けた確立された選択肢です。
仕組み:
- 尿道の周りに「カフ」と呼ばれる輪状の器具をはめ込み、普段は尿道を圧迫して漏れを防ぐ
- カフ・コントロールポンプ・バルーンの3つが体内でチューブでつながっており、コントロールポンプは陰嚢内に設置される
- 排尿したいときはポンプを数回つまむと、カフの中の生理食塩水がバルーンに移動してカフが緩み、尿道が開いて排尿できる
- 排尿後は約3分で生理食塩水が自動的にカフに戻り、再び尿道を締める
- 器具は体の中に完全に収まるため、外から見てわかることはない
治療の流れと効果:
- 手術後すぐに使い始めるのではなく、術後6〜8週間後に1泊2日の教育入院を行い、器具の使い方を習得してから使用開始
- この手術を受けた方の約50%で尿漏れがほぼゼロになり、残り50%の方でも1日パッド1枚で済む程度まで改善すると報告されている
手術後1年が経過しても重症尿失禁が続いている場合は、まず主治医に「人工尿道括約筋の手術について相談したい」と伝えてみてください。
この手術を行える施設は限られていますが、専門施設への紹介状を書いてもらえる場合があります。
合併症は怖いものではなく、「知って、備えて、対処できるもの」です。
よくある質問(FAQ)

Q. 前立腺がんの手術後、尿漏れはいつまで続きますか?
A. 手術直後は約70%の方に尿漏れが見られますが、多くは術後1ヶ月〜半年で急速に改善し、6ヶ月以降もゆるやかに回復が続きます。術後1年の時点では多くの方が改善しています。骨盤底筋体操を手術前から始めることで、回復を後押しできます。
Q. 手術ではなく放射線治療を選べばEDは防げますか?
A. いいえ、それは誤解です。神経温存手術と放射線治療のED発生率を比較すると、統計的な有意差はないとされています。治療選択の際は、根治性と機能温存のバランスを主治医とよく相談してください。
Q. 手術後1年経っても尿漏れが治らない場合、治療法はありますか?
A. あります。1日400cc以上の重症尿失禁には、保険適用の「人工尿道括約筋埋め込み術」という選択肢があります。約50%の方で尿漏れがほぼゼロになり、残りの方も1日パッド1枚程度まで改善すると報告されています。
Q. 手術後、足の付け根が膨らんできました。放置しても大丈夫ですか?
A. 放置は危険です。鼠径ヘルニアの可能性があります。腸が締め付けられて戻らなくなる「嵌頓」になると緊急手術が必要になるため、早めに主治医へ相談してください。
Q. 骨盤底筋体操はいつから始めればよいですか?
A. 手術が決まった段階、つまり手術前から始めることが推奨されています。手術後は、カテーテルが抜けたタイミングで主治医の指示に従いながら再開します。
次回の診察で聞くべき2つの質問
前立腺全摘除術に伴う5つの合併症——尿失禁、ED、鼠径ヘルニア、吻合部狭窄・不全、直腸損傷。どれも事前に知っておけば備えられるものです。そして改善しない場合も、人工尿道括約筋埋め込み術のような選択肢があります。
手術を予定している方は、次回の診察でぜひこの2つを質問してください。
- 「骨盤底筋体操はいつから始めればよいですか?」
- 「私の場合、神経温存手術は可能ですか?」
こうした具体的な質問が、診察の質を変えます。術後の症状で悩んでいる方は、泌尿器科の専門医に相談することで、あなたに合った次の一手が見つかるはずです。
この記事のまとめ(30秒で分かる要点)
- 前立腺全摘除術の直後には約70%の方に尿漏れが起こるが、多くは術後1年以内に改善する
- ED(勃起不全)はほぼ必発。ただし神経温存手術と放射線治療のED発生率に統計的な有意差はない
- 鼠径ヘルニア(約8%)、吻合部狭窄・不全、直腸損傷(1%未満)も知っておくべき合併症
- 改善しない重症尿失禁には保険適用(2012年〜)の「人工尿道括約筋埋め込み術」という選択肢がある
- 骨盤底筋体操は「手術前」から始めることが術後の回復を左右する


