こんにちは! 所沢いそのクリニック院長の磯野 誠です。
「前立腺がんと診断されたのに、すぐ治療しなくていいと言われた」
「がんを放置して、進行してから後悔しないだろうか…」
健康診断のPSA検査や精密検査(生検)で前立腺がんが見つかったにもかかわらず、医師から「しばらく様子を見ましょう」と提案され、戸惑いや不安を抱えている方は非常に多くいらっしゃいます。
日本では年間約9万人以上が新たに前立腺がんと診断されていますが、実はその中には「すぐに治療をしなくてもよい」タイプのがんが存在します。
この記事では、なぜ「治療しない」という選択肢があるのか、どの前立腺がんは様子を見てよくて、どの前立腺がんはすぐ治療すべきなのかを、分かりやすく解説します。
低リスク前立腺がんとは?「様子を見ていいがん」の3つの条件
前立腺がんは、その性質や進行のスピードによって「低リスク」「中リスク」「高リスク」に分類されます。このうち、「すぐに命に関わるリスクは極めて低い」と判断されるのが低リスク前立腺がんです。
低リスクと診断されるためには、以下の3つの条件がすべて揃っている必要があります。
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グリーソンスコアが6(グレードグループ1)であること: グリーソンスコアとは、がん細胞の悪性度を顕微鏡で評価した数値です。6は最も悪性度が低く、おとなしい状態を示します。
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PSA値が10ng/mL以下であること: PSA(前立腺特異抗原)は、前立腺に異常があると血液中に増えるタンパク質です。この数値が比較的低い状態です。
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直腸診でしこりが触れないこと(T1c病変): 医師が指で直腸から前立腺を触診した際、明らかなしこりを感じないごく初期の状態です。
「条件を満たしていても、がんはがんでは?」と不安に思うかもしれません。
しかし、前立腺がんの中には「数十年かけてもほとんど大きくならない、非常におとなしいタイプ」が存在します。それが低リスク前立腺がんの大きな特徴です。
なぜ「治療しない(様子を見る)」という選択肢があるのか?
低リスク前立腺がんに対して、すぐに手術や放射線治療を行わない背景には、大きく分けて2つの医学的な理由があります。
1. がんが進行する前に寿命を迎える可能性が高い
アメリカの医学誌の研究データでも、グリーソンスコア6の低リスクがんを持つ患者さんの大半が、前立腺がんではなく心臓病やその他の病気、あるいは老衰で亡くなっていることが示されています。
近年はPSA検診の普及により、一生気づかずに過ごしても問題のないようなごく小さな小さながん(ラテントがん)まで発見されるようになりました。これを「過剰診断」と呼びます。
2. 治療による副作用を避けるため
前立腺がんの手術(前立腺全摘除術)や放射線治療には、尿漏れ(尿失禁)や性機能障害(勃起障害)、直腸からの出血といった副作用のリスクが伴います。おとなしいがんに対して急いで治療を行うと、寿命を延ばす効果は得られないまま、副作用によって生活の質(QOL)だけが下がってしまう可能性があります。
そのため、国際的なガイドラインでも、低リスク前立腺がんの場合は「定期的に監視しながら、必要になったタイミングで治療を開始する」というアプローチが強く推奨されています。
放置とは違う「積極的監視療法(Active Surveillance)」
「様子を見る」と聞くと、何もしないで放置するイメージを持たれるかもしれませんが、それは大きな誤解です。医療機関で行うのは「積極的監視療法」と呼ばれる、厳密な管理体制です。
これは「がんを見逃す」のではなく「がんを見張る」ための選択です。
具体的には以下のようなスケジュールで定期的な検査を行い、進行の兆候があればすぐに治療(手術や放射線)に切り替えます。
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PSA検査: 6ヶ月に1回
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直腸診: 12ヶ月に1回
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前立腺MRI検査: 12ヶ月以内に1回
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前立腺針生検(組織検査): 12ヶ月以内に1回
※近年はMRIの精度が向上しているため、異常が見られない場合は体への負担が大きい生検の頻度を減らすことも検討されるようになっています。
積極的監視療法の最大のメリットは、約50%の患者さんが10年間にわたって手術や放射線を受けずに(副作用を経験せずに)済むという点です。
途中でがんが進行して治療に切り替わる方も半数いますが、それは監視が機能し、適切なタイミングで治療を開始できた証拠であり、決して「失敗」ではありません。
【注意】「経過観察」との違い
積極的監視療法と似た言葉に「経過観察(Watchful Waiting)」がありますが、目的と対象者が異なります。
| 治療方針 | 目的・特徴 | 主な対象者 |
| 積極的監視療法 | 定期検査でがんを厳密に監視し、進行の兆候があれば根治治療を行う。 | 余命が10年以上見込まれる方 |
| 経過観察 | 定期検査は行わず、骨の痛みや排尿障害などの症状が出た時だけ対処する。 | 高齢で持病が多く、余命が短いと見込まれる方 |
ご自身の治療方針がどちらに該当するのか、主治医としっかり確認することが大切です。
15年間の追跡データが示す安全性(ProtecT試験)
「本当に監視するだけで大丈夫なのか?」という疑問に対して、イギリスで行われた大規模な臨床試験「ProtecT(プロテクト)トライアル」が明確な答えを出しています。
この試験では、低リスクおよび中リスクの前立腺がん患者さんを「積極的監視療法」「手術」「放射線治療」の3つのグループに分け、15年間にわたって追跡調査を行いました。
その結果、前立腺がんによる死亡率は3つのグループ間でほぼ同じ(差がない)ことが証明されました。転移が生じた割合は監視療法グループの方がわずかに高かったものの、転移=死亡ではありません。精神的な健康や不安の指標においても、グループ間で差はありませんでした。
ただし、日本国内のデータでは、がんを抱えたまま生活する「心理的不安」から、監視療法を10年間継続できる人は約17%程度にとどまるという報告もあります。
不安を一人で抱え込まず、医師とコミュニケーションを取り続けることが重要です。
治療に切り替える「3つのサイン」
積極的監視療法を続ける中で、どのような状態になれば治療(手術や放射線)を開始するのでしょうか。主な基準は以下の通りです。
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前立腺針生検で悪性度が上がった時: グリーソンスコアが7(グレードグループ2)以上に進行した場合は、治療に切り替えます。
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MRIでがんが大きくなった時: 画像診断でがんの体積の明らかな増加が確認された場合。
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PSA密度が上昇した時: PSA値を前立腺の大きさ(体積)で割った「PSA密度」が上昇した場合。
【医師からのアドバイス】
PSAの数値は、炎症や日々の体調によってわずかに変動します。「PSAが少し上がった」というだけで過剰に焦る必要はありません。生検やMRIの結果と総合して判断します。また、精神的な不安が強すぎて生活に支障が出る場合は、患者さんの希望による治療への切り替えも選択肢となります。
【要注意】今すぐ治療すべき前立腺がんの特徴
ここまで低リスクがんのお話をしてきましたが、以下の条件に当てはまる場合は積極的監視療法の対象外となり、早期の治療が必要です。
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グリーソンスコアが7以上(中リスク・高リスク): 進行スピードが速い可能性があります。
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PSA値が10ng/mLを超えている場合
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直腸診で明らかなしこりが触れる場合
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「篩状(ふるいじょう)構造がん」が見つかった場合: 顕微鏡で見ると網目状に見える特殊なタイプで、転移リスクが著しく高いことが分かっています。
ご自身のがんがどのタイプなのか、上記の条件に当てはまっていないかを、担当医に必ず確認してください。
まとめ:自分の余命とライフスタイルを見据えた選択を
「治療しない」という選択は、決して医療の放棄ではありません。がんの性質を正確に見極め、副作用による生活の質の低下を防ぐための、前向きで科学的な治療戦略です。
治療方針を決める際は、がんのリスクだけでなく、ご自身の年齢、持病の有無、そして「これからの人生(余命)をどう過ごしたいか」を考慮することが最も大切です。
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「尿漏れを絶対に避けたいから、ギリギリまで監視療法を続けたい」
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「がんが体にあるストレスに耐えられないから、早く治療してすっきりしたい」
正解は一つではありません。不安なことがあれば、些細なことでも構いませんので主治医にご相談ください。
当院では、患者さん一人ひとりの価値観に寄り添い、最適な治療方針を一緒に考えてサポートいたします。
前立腺がんの治療で迷われている方は、ぜひ一度泌尿器科専門医までご相談ください。

