こんにちは。所沢いそのクリニック院長の磯野 誠です。
日々、外来で多くの方の悩みを聞く中で、どうしても皆さんに伝えておかなければならない「非常に危険な勘違い」があります。
それは、「おしっこの出が悪いけれど、少しは出ているから様子を見よう」という判断です。
もし、今あなたが「トイレに時間がかかるようになったな」「昔に比べて勢いがないな」と感じながらも、痛くないからと放置しているなら、その判断は今すぐ捨ててください。その油断が、将来のあなたの自由な生活を奪い、最悪の場合は命に関わる事態を招くからです。
今回は、より詳しく「尿閉(にょうへい)」の正体とそのリスク、そして後悔しないための受診の目安について、解説していきます。
1. そもそも「尿閉」とはどのような状態か?
「尿閉」という言葉、一般的にはあまり馴染みがないかもしれません。文字通り「尿が閉ざされる」と書きます。これは単に「出にくい」という主観的な感覚ではなく、「膀胱におしっこが溜まっているのに、出口のトラブルで外に出せなくなっている物理的な故障状態」を指します。
私たちの体の中では、腎臓が24時間休むことなく血液をろ過し、尿を作り続けています。作られた尿は尿管を通って膀胱という「ダム」に貯められます。本来であれば、ある程度溜まったところで脳から指令が出て、膀胱の筋肉が収縮し、出口(尿道)が開いて一気に放出されます。
しかし、尿閉の状態というのは、この「ダムの放流ゲート」が完全に故障しているか、あるいは「放水路」が岩や土砂で埋まってしまっている状態なのです。
ここで重要なのは、尿閉には「完全に一滴も出ない状態」だけでなく、「出しているつもりでも、中身がほとんど空になっていない状態」も含まれるという点です。ここを誤解していると、病気の発見が遅れてしまいます。
2. 「急性」と「慢性」:本当に怖いのは「痛くない方」
尿閉には、その進み方によって「急性尿閉」と「慢性尿閉」の2種類があります。
急性尿閉:激痛が教える緊急事態
急性尿閉は、ある日突然起こります。「昨夜までは普通に出ていたのに、朝起きたら一滴も出ない」というパターンです。 これは非常に苦しいです。膀胱は風船のように限界まで膨らみ、下腹部には引き裂かれるような激痛が走ります。あまりの痛みに脂汗をかき、這うようにして救急外来を受診される方がほとんどです。
きっかけとして多いのは、以下のようなケースです。
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過度の飲酒: アルコールには利尿作用があるため、急激に尿が作られます。同時にアルコールが血管を広げ、前立腺が充血して尿道を塞いでしまうことがあります。
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薬の影響: 市販の風邪薬などを服用した直後に、膀胱の筋肉が麻痺して動かなくなることがあります。
急性尿閉は、本人が「死ぬほど痛い」と感じるため、放置されることはまずありません。
慢性尿閉:静かに進行するサイレント・キラー
私が医師として本当に恐れているのは、もう一つの「慢性尿閉」です。 こちらは急性とは対照的に、「痛みがほとんどない」ことが最大の特徴です。
なぜ痛みがないのか。それは、数ヶ月、数年という長い時間をかけて少しずつ少しずつ、尿の出が悪くなっていくからです。膀胱も少しずつ伸びていくため、その鈍い刺激に体が慣れてしまい、「麻痺」してしまうのです。
「最近、おしっこが出るまでに時間がかかるな」 「なんだか勢いがなくなったな」
そう思いながらも、日常生活が送れてしまう。これが「沈黙の病」と呼ばれる所以です。 慢性尿閉の患者さんの膀胱をエコーで見ると、500mL、時には1リットル近く(!)の尿が常に溜まっていることがあります。本来、膀胱は300〜400mL程度で「満タン」と感じるはずなのに、慢性尿閉の方はそれ以上の尿を抱えても、痛みを感じないのです。
3. なぜ「少し出ている」が危険なのか?(溢流性尿失禁の正体)
慢性尿閉の患者さんがよく仰るのが、「先生、でもチョロチョロとは出ているんですよ。だからまだ大丈夫でしょう?」という言葉です。
これは医学的には非常に危険なサインです。 このときに出ている尿は、自力でしっかり排泄できている尿ではありません。「溢流性尿失禁(いつりゅうせいにょうしっきん)」と呼ばれる現象です。
コップを想像してください。すでに水が縁までなみなみと注がれたコップに、さらに上から水を注ぎ続けるとどうなるでしょうか? 当然、縁から水が溢れ出しますよね。 慢性尿閉の方の「チョロチョロ出る尿」は、まさにこれと同じです。膀胱がパンパンでこれ以上一滴も入らない状態だから、腎臓から新しく送られてきた分だけが、圧力に押されて勝手に漏れ出しているだけなのです。
これを「排尿できている」と勘違いして放置すると、取り返しのつかない事態へと発展します。
4. なぜ尿が出なくなるのか? 2大原因を徹底解説
尿閉を引き起こす原因はいくつかありますが、特に中高年世代が知っておくべきは以下の2点です。
① 前立腺肥大症(男性特有の原因)
男性の体には、膀胱のすぐ下に「前立腺」というクルミ大の臓器があります。その中心を尿道が通り抜けています。 加齢とともにこの前立腺が大きくなると、尿道を四方八方からギュッと締め付けてしまいます。 よく患者さんに説明するのは「ホースを足で踏んでいる状態」です。いくら膀胱が尿を出そうと頑張っても、通り道が物理的に潰されているため、尿はスムーズに流れません。
② 薬の副作用(男女共通の盲点)
意外と知られていないのが、日常的に使っているお薬の影響です。
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市販の風邪薬(総合感冒薬): 鼻水を止める成分(抗ヒスタミン薬)などが、尿道の筋肉を締めたり、膀胱の収縮を弱めたりします。
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花粉症の薬: 同様に抗ヒスタミン作用があるものが多く、尿が出にくくなることがあります。
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胃腸薬・安定剤: 「抗コリン作用」という作用を持つ薬は、膀胱の筋肉をリラックスさせすぎてしまい、おしっこを押し出す力を奪います。
もともと前立腺肥大気味だった方が、風邪を引いて市販薬を飲んだ途端、完全に尿が止まってしまうというのは、泌尿器科では「お約束」と言ってもいいほど頻繁に見られる光景です。
5. 見逃してはいけない「5つの初期サイン」
尿閉が完成する前に、体は必ず SOS を出しています。以下のチェックリストを確認してください。
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「勢い」の劇的な低下 昔はトイレの便器の奥に届くほど勢いがあったのに、今は足元にポタポタと落ちる。靴に尿がかかるようになった。これは尿道の抵抗が強くなっているサインです。
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「待ち時間(タイムラグ)」の発生 便器の前に立ってから、実際に出始めるまでに10秒、20秒と時間がかかる。「さあ、出すぞ」と念じないと出てこない状態は、医学的に「排尿遅延」と呼び、警戒が必要です。
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「腹圧」を使っている 本来、排尿はリラックスした状態で、膀胱の筋肉の力だけで行われるものです。お腹にグッと力を入れたり、前かがみになったり、手で下腹部を圧迫しないと出ないのは、膀胱の限界を示しています。
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「夜間頻尿」と「細切れ」の排尿 「夜中に何度も起きるのは年のせい」と思っていませんか? 慢性尿閉で膀胱に尿が残っていると、有効な容量が減っているため、すぐに満タン信号が出てしまいます。1回の量が少なく、何度も行きたくなるのは、出し切れていない証拠かもしれません。
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「残尿感」と「重だるさ」 出し終わった直後なのに、「まだ中に残っている気がする」という感覚。あるいは下腹部が常に重だるい、ポッコリ出ている。これは感覚のせいではなく、物理的に尿が残っている可能性が極めて高いです。
6. 放置の代償:待ち受ける「3つの絶望的なシナリオ」
「痛くないならいいじゃないか」と思うかもしれません。しかし、放置した先に待っているのは、生活の質(QOL)を根本から破壊する過酷な現実です。
ステージ1:膀胱機能の廃絶(戻らない体)
膀胱は平滑筋という筋肉でできています。これを限界まで引き伸ばした状態で放置すると、筋肉の繊維がボロボロになり、伸び切ったゴムのようになってしまいます。 こうなると、たとえ後から手術で前立腺を削って通り道を広げても、膀胱自体が「縮む力」を失っているため、一生自分でおしっこが出せなくなります。 その場合、毎日数回、自分で管を尿道に通して尿を抜く「自己導尿」や、お腹に穴を開けて袋をつける「膀胱瘻(ぼうこうろう)」での生活を余儀なくされます。
ステージ2:重症感染症(敗血症)
溜まりっぱなしの尿は「腐った水」と同じです。細菌が爆発的に増殖し、重い膀胱炎や腎盂腎炎(じんうじんえん)を引き起こします。 特にお年寄りの場合、そこから細菌が血液に入り込む「敗血症」へと進行し、意識障害やショック症状を引き起こして命を落とすことも少なくありません。
ステージ3:腎不全(透析への道)
これが最も恐ろしい末路です。膀胱がいっぱいになると、尿は行き場を失い、尿管を逆流して腎臓へと戻っていきます。 腎臓は本来、非常に繊細な組織ですが、逆流してきた尿の圧力で内側から押し潰されます(水腎症)。 腎臓は一度壊れると再生しない臓器です。放置すれば腎機能はどんどん低下し、最終的には人工透析が必要になります。「尿が出にくいだけ」と思っていたトラブルが、数年後には週3回、4時間の透析治療を受ける生活へと直結しているのです。
7. 泌尿器科での検査は怖くない! 具体的な流れ
「泌尿器科に行くのは恥ずかしい」「痛い検査をされるのが怖い」というイメージがあるかもしれません。しかし、現代の泌尿器科検診は非常にスマートです。
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問診: どのような症状があるか、いつから困っているかをお聞きします。
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尿検査: 血尿や感染がないかを調べます。
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尿流量測定(ウロフロメトリー): トイレ型の機械におしっこをするだけで、尿の勢いや量をグラフ化します。ただ用を足すだけなので痛みはありません。
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残尿測定エコー: お腹の上からゼリーを塗って超音波を当てるだけです。これで「何mL尿が残っているか」が10秒で分かります。痛みも苦痛もゼロです。
これだけの検査で、あなたの膀胱が今どのような危機に瀕しているかがすべて明確になります。
8. 受診の判断基準:この4つのどれかに当てはまれば病院へ
もしあなたが今、迷っているなら、以下の基準で判断してください。一つでも当てはまれば「黄色信号」ではなく「赤信号」です。
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数日間、継続して出にくい: たまたまではなく、毎日「出しにくいな」と感じる。
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お腹の張りや違和感がある: 下腹部が硬くなっている、あるいは押すと尿意が走る。
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風邪薬や花粉症薬で症状が悪化した: 薬を飲んでから顕著に出が悪くなった。
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【緊急】半日以上出ない: これは救急レベルです。明日まで待ってはいけません。
結びに:我慢は美徳ではありません
尿のトラブルは、単に「トイレが不便になる」という問題ではありません。それは、あなたの膀胱、腎臓、そして「自由な人生」を守るための警告灯です。
私たち医師ができることは、あなたが最悪の事態になる前に手を差し伸べることです。今の医学なら、お薬や、体に負担の少ない内視鏡手術(レーザーなどで前立腺を削る方法など)で、驚くほどスッキリと元の生活を取り戻せる方がたくさんいらっしゃいます。
「恥ずかしい」「まだ大丈夫」という思い込みで、一生の健康をギャンブルにかけないでください。 もし、この記事を読んで心当たりがあるなら、今すぐお近くの泌尿器科の予約を取ってください。その一歩が、10年後のあなたを救います。
また、あなたの大切なご家族(お父様やパートナー)が、トイレに何度も起きていたり、時間がかかっていたりするなら、ぜひこの記事の内容を伝えてあげてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今後もこのブログでは、あなたの健康を守るための知識を、現役医師の視点から分かりやすくお届けしていきます。
それでは、また次の記事でお会いしましょう。


